📮KURUME LETTER
1年次から学ぶ心の苦しみに寄り添う姿勢【医学科:医療プロフェッショナリズム特別講義】
5月8日、医学部医学科1年次の必修科目「医療プロフェッショナリズム(担当:安川秀雄教授)」において、一般社団法人日本エンドオブライフケア協会理事長の小澤竹俊氏をお招きし、特別講義が行われました。
「治せなくとも、伴走する医師」であるために
講義のテーマは、医学教育モデル・コア・カリキュラムでも重視されている「プロフェッショナリズム」の実践としてのエンドオブライフケアです。小澤先生は、多死社会を迎え、たとえ病気を治すことができなくとも「人生の最期まで伴走してくれる医師」の存在が社会から強く求められていると説かれました。
講義の核となったのは、学生同士によるロールプレイ演習です。学生たちはまず「聴く」ことについてのいくつかのロールプレイを体験し、後半では「進行癌のため休学中の学生」という、1年生にとって身近でありながらも深刻な状況にある患者役と、その話を聴く医師役に分かれ、具体的な対話を体験しました。
「聴く」ことが支えになる
演習では、単に情報を収集するコミュニケーションではなく、相手の苦しみ(スピリチュアルペイン)をキャッチし、沈黙や反復を用いて「聴く」ことに焦点が当てられました。 小澤先生は、解決が難しい苦しみを抱える人であっても、「自分の苦しみをわかってくれる人がいる」と感じられること(援助的コミュニケーション)が、穏やかさを取り戻すための大きな「支え」になると解説されました。
学生たちはこの演習を通じ、医師に求められる力とは単に知識や技術を学び課題を解決する力を身につけるだけでなく、「たとえ問題を解決できない状況でも、苦しむ人と伴走し続ける力」であることを学びました。
「国手の矜持」を胸に:初代校長の教えと重なり合う現代のプロフェッショナリズム
本学の初代校長である伊東祐彦先生は、かつて第1回の講義で「諸君が将来医者になって、余暇に山登りをしたとする。途中の一軒家に病いに苦しむ老婆の姿がある。君ならどうする。その時、そしらぬ顔してゆくか、専門が違うとか、診断の器具がないからと、逃げるか。それでは医者ではない。聴診器がなくとも、薬がなくとも、手があり、目があり、口があるじゃないか。そばに行って少しでもその苦痛を和らげるのが本当の医者だ」という言葉を残されました。この話は医師を目指す学生の胸に深く刻まれ、本学の建学の精神「国手(こくしゅ)の矜持(ほこり)は常に仁なり」の土台となりました。今回の特別講義は、他者を思いやり、周りの人にやさしく接する「仁」の精神を実践する具体的な方法を学ぶ時間となりました。
医療プロフェッショナリズムの枠組みには、医学的知識や技術といった土台の上に、「ヒューマニズム」や「利他主義」を兼ね備えることが求められています。今回の講義は、1年生という早い段階から、患者さんの物語(ナラティブ)に共感し、その「あり方(being)」を尊重する姿勢を養う、まさに本学が目指す「仁ある医師の輩出」に直結する貴重な時間となりました。
学生たちのコメント
■学生たちの声(学生たちのレポートより抜粋)
「ただ知識を蓄え手技を磨くことだけで良医になれないことを改めて実感しました」
「医療は単に病気を治すだけではなく、人を穏やかにし、支えることが大切なのだと学んだ」
「自分が理解しようとするのではなく、相手が理解してくれていると思ってくれるような人になっていきたい」
「『わかってくれる人がいるとうれしい』という言葉が印象に残り、相手の話をしっかり聴く姿勢の重要性を感じた」
「誰かを支えようとする人に支えが必要である=自らの支えの存在を認識することで初めて他者を支えることができるということなのかなと理解しました」
「話を聞く際に他者の気持ちを勝手に推測してしまいがちですが、常に相手は自分が思っている感情とは別の感情を持っているかもしれないということを心に留めて、誠実に他者と向き合っていきたい」
「希望と現実の開きから身近に潜む苦しみを見つけ、周囲の人の小さい苦しみに気づき、関わることのできる人になりたい」
受講した学生からは、患者への対応だけでなく、自分自身の日常生活における苦しみとの向き合い方や、悩んでいる友人の相談に活かしたいといった声も聞かれました。 プロフェッショナリズムに最終的な到達点はありません。常に患者や社会のニーズを意識し、困難な臨床状況の中でも省察(振り返り)を繰り返しながら高みを目指し続ける――。そんな「真のプロフェッショナル」への第一歩を、学生たちはこの講義を通じて力強く踏み出しました。